地域に根差して20年!鹿児島市紫原で評判の整体院です。

《新型コロナウイルスとの闘い》

〈新型コロナウイルスとの闘い〉

新型コロナウイルス感染症が拡大するなか、不安をうまくコントロールしたり、どうすれば冷静さを保つことができるのか。心理学の知見から『新潟青陵大学 碓井真史教授』のお話しです。

皆さまどうぞ参考にして下さい。

image.jpg

1959年、東京都生まれ。日本大学大学院文学研究科博士後期課程心理学専攻修了。博士(心理学)。専門は社会心理学。道都大学教授、新潟青陵女子短期大学教授などを経て、2006年から現職。新潟市のスクールカウンセラーとしても活動している。

安心を求めすぎないこと

 新型コロナウイルス感染症の拡大によって、健康面や経済面などで、多くの方々が不安を抱いているはずです。

 実は、危機的状況下で自身の身を守るためには、ある程度の不安はむしろ必要なものです。しかし、不安が大きくなりすぎると、極端な行動を起こしてしまい、かえって自身の身を危険にさらしてしまいかねません。では、不安をコントロールするためにはどうすればいいのでしょうか。まずは、人はどうして不安を抱いてしまうかについて知ることです。

 心理学では、そもそも不安は、対象がはっきりしていない場合に抱くものとされています。人は、対象がはっきりしているものには、不安ではなく恐れを抱くのです。

 ウイルスは肉眼では見ることができません。人々は特に目に見えないものには大きな不安を抱くようです。例えば、東日本大震災に伴う原発事故後、目に見えない放射線に対してどういう反応があったかを考えると、想像がつくかと思います。また、今般のウイルスは新型というだけあって、まだまだ医学的にも明らかになっていないことが多い。そのため、感染症の専門家でも、異なる見解を示している場合があります。

 感染症において、個人が最も恐れるべきものは「死」だと思います。それははっきりしている。しかし、その手前の部分では多くのことが見通せない。対象がはっきりとしていないために、具体的な恐れではなく、漠然とした不安がどんどん膨らんでしまうのです。

 

 人間には、安全だけでは満足できず、同時に安心を求める習性があります。普段であれば医師などの専門家や政治家が、可能な限りの安心を供給してくれます。それが、非常時には供給側に余裕がなくなります。その時に、普段どおりに安心を求めてしまうと、かえって不安が募ってしまうのです。

 行きすぎた不安は、感染者への差別や、個人情報の特定、買い占めなどの極端な行動を引き起こします。平時に一人の人間がそうした行動を起こす分には大きな影響はないかもしれませんが、非常時には多くの人がそうした行動を取ります。そうなると、社会的な混乱が起き、結果的に極端な行動を取った人も危険にさらされてしまいます。

 例えば、マスクを大量に買い占めたとします。それで自分自身は安心かもしれませんが、そうした行動を自分と同じ考えの多くの人が取ることで、医療機関に行き渡らなくなる。となると、仮に自らが感染した時に困るのは自分自身ということになるわけです。

 自分では合理的な行為だと思っているものが、かえって非合理的な結果を招いてしまう。これを心理学の用語で「社会的ジレンマ」と言います。

image_1.jpg

情報との向き合い方

 どうすれば不安をコントロールできるのか。情報を発する側と受け取る側の双方の視点からポイントを述べたいと思います。

 情報を発する側は、何よりもリスクコミュニケーションの質を高めることです。科学的知識やデータは大切ですが、それだけでは、人々の不安は解消されません。コミュニケーションである以上、そこには心が介在するからです。情報を受け取る側がどんな気持ちでいるのか、どれくらいの知識を持っているかを見定め、ただ単に正しい言葉ではなく、伝わる言葉を発していくべきでしょう。

 私の大学がある新潟市では、二月末に卓球スクールで、新型コロナウイルス感染症のクラスターが確認されました。その際、県の担当者と専門家は、同じスクールに通っているだけでは感染の確率は低い旨を、明確に発表しました。これは実に冷静な対応だったと思います。

 政治家の場合は、アメリカのトランプ大統領や、東京都の小池知事がそうしているように、専門家を後ろや脇に控えさせて会見を行うというのも有効だと思います。つまり、発表している情報が専門家の了解済みであることを、視覚的に示す。いわば一種の演出ですが、コミュニケーションの面ではとても大切なことなのです。

 次に、情報を受け取る側のポイントです。非常時には、とりわけインターネット上にデマや陰謀論が蔓延します。それらは多くの場合、人々の不安に付け込んだ内容となっています。

 実は、人間は第三者からの情報を信じやすい傾向があります。また、自分が見たい情報しか見ない傾向もある。それらの傾向によって、デマや陰謀論が拡散されてしまうのです。

 明らかなデマや陰謀論とまで言えなくとも、例えば非常時のテレビは、扇情的な報道をしがちです。トイレットペーパーの買い占めが起きた際、テレビでは何度もスーパーマーケットやドラッグストアの空っぽの棚が映し出されました。

 そうなると、いくら公的機関や専門家が豊富な在庫をアピールし、冷静な消費行動を呼びかけたところで、空っぽの棚のインパクトには負けてしまいます。それがかえって買い占めを助長することにつながってしまいます。

 他にも、おどろおどろしいBGMを流したり、過激なテロップを出したり、悲観的な街頭インタビューばかりを報道したりと、非常時のテレビは非日常を映し出そうとします。情報を受け取る側は、メディアはしばしば煽るものだと認識したほうがいいでしょう。

 その上で、自分自身がデマや陰謀論の片棒を担がないためにも、他者にそれを拡散する前に、調べてみることです。特に、自分の心理状態や意見にぴったりと合う情報には要注意です。先述のとおり、人は自分が見たい情報しか見ない習性があるからです。

 もしもテレビの報道によって、不安が大きくなっていると感じる場合には、テレビを消して、最低限の情報をラジオから得るのも一つの方法です。真面目な人ほど、ちゃんと情報を得なければと思い、テレビを消すことに罪悪感を抱いてしまいがちですが、刺激が強いテレビの報道と距離を置くことは、不安をコントロールするためにも有効です。

image_2.jpg

余裕がない人を責めない

 リスクコミュニケーションの質を上げるためには、情報を発する側と受け止める側の相互信頼関係が重要です。特に今回のように、新しいウイルスによる感染症が拡大し、何が正しい対応なのかがわからない状況下で最善を尽くすためには、政府と国民の相互信頼が土台になるはずです。

 その意味では、政治が信頼されていないことが、今般の大きな混乱を招いた一つの要因なのかもしれません。ただし、個人的には、非常時には国民の側がもう少し、政治を信頼したほうがいいと思っています。

 危機的な状況に陥ると、普段から抱えている不安がグンと大きくなるものです。裏を返せば、家族や友人、地域社会や宗教団体などの中間団体によるソーシャルサポートがあるかどうか、すなわち日常的な安心感があるかどうかが、非常時に不安をコントロールできるかどうかに大きく影響してくるのです。

 また、日常的な安心感という点では、日ごろから水や食料、トイレットペーパーなどを買い置きしている人は、非常時に買い占めに走ったりはしないはずです。結局のところは備えあれば憂いなしなのです。

 自然災害や感染症は世の中全体を揺さぶります。その時に、普段からいい関係を築いていた家族・団体・社会は一致団結しますが、ギリギリ保っていた家族・団体・社会は仲たがいをしたり、乱暴になったりするものです。

 集団パニックが起きる際には、必ずきっかけをつくる人がいます。学校などの避難訓練で、「静かに」と徹底されるのは、非常時に口を開くと不安な話ばかりをしてしまい、皆が浮足立ってしまうからです。そこで泣き出す人などが出てくれば、一気に集団パニックに陥るのです。

 非常時に余裕がなくなってしまう人はいるものです。感染者への差別や、個人情報の特定、買い占めに走ってしまう人は、多くの場合は不安が大きくなりすぎて、余裕がなくなってしまっています。もちろん、それらはもはや社会的迷惑行為に他ならないものの、余裕がない人を責めたり、問い詰めたりしても何も解決しません。むしろ、褒めてあげるなど、穏やかなまなざしで肯定してあげたほうが、その人は安心できるのです。

  1.  もしかすると、買い占めに走ったそのお年寄りの家族には、基礎疾患を抱えている人がいるのかもしれません。そもそも高齢者は重症化する確率が高いために不安が大きくなりがちです。非常時には、安心を求めすぎないこと。その上で、余裕がある人は、余裕がない人に目くじらを立てるのではなく、安心を与えていくことが大切です。

土・日・祝日も営業!出張(訪問)整体をご希望の方は、お気軽に相談下さい。

ご予約はこちら
健友館ゆうき整体院